先日TV番組を見ていましたら、視聴者から送れられてきた相談にこういったものがありました。
「人の悪口を言わない人が信用できません。
私は、人の悪口を言い合うことはコミュニケーションの一つだと考えています。
しかし、どれだけ水を向けてみても悪口に乗ってこない人がいます。そういう人は信用できません」
というのです。
うーん、びっくりしました。
というのも、私は人の悪口はぐっと堪えてなんとか辛抱するようにしている人間だからです。
特に職場とか、友人との食事などでは。
そうした方が、きっと他人から良い人だと思われるだろう、できればそう思われたい…と考えてのことでした。
(本当は言いたい時もあります)
それなのに、悪口を言わないでいた方が「この人は信用ならない」と判断されることもあると知って愕然。
しかも番組のアンケートでは「悪口を言わない人の方が信用できない」と考える人が3割もいたのです。
決して少数すぎる数ではないですよね。
しかし、悪口を言い合える人なら信用できるって、どういう意味なんでしょうね?
「あなたも私も同罪、だからあなたは私を悪く言う事は出来ない」
「私はこんなに悪口を言っているけれど、みんなが言っているんだから普通のこと。
つまり私は善良な普通の人間」って事なんでしょうか。
自分が一生懸命悪口を言っているのに、話している相手が全然乗ってこなかったら、
なんだか向こうは良い人で自分は性格が悪い人のように感じ始める気がしますからね。
そうなると向こうには自分を断罪する権利があるような、自分だけが悪者になったような感じがするかも
しれません。
そりゃ信用なんかできるはずないですよね。
いつ自分を攻撃してくるかわからないんですから。
その不安感こそが「信用できない」の正体ではないでしょうか。
最初は「一生懸命悪口を言うのを我慢してきたのに、それによって人から信用されないなんていやだなあ」
と思いましたが、それは日頃から悪口ばっかり言っている人限定なんだと思うと、別にそういう人には
嫌われても構わないかな。
過去に、初対面からその場にいない人の悪口ばかりをペラペラと喋り続ける人に会ったことがありますが、
改めて思い出してみると、そういう人には不思議とだんだん冷たくされていたような気がします。
なんだか敵視されているように感じるけど、気のせいかなあと思っていたのですが、
そうか、あれは「信用できない」と思われていたということですね。
世間にはそういう人が3割いるということを、今後覚えておこうと思います。
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